明治

1889(明治22)年 この年の秋、米価が大暴騰し多くの窮民が町にあふれたので、神戸市内に在住するキリスト信者の有志は、この人々の救済を目的として義援金を募集する。
1890(明治23)年5月23日 神戸市葺合村1954番地に『神戸貧民救済義会』を設立し、行路病者に対する収容保護事業に着手した。会長には吉川亀牧師、実務には矢野彀が当たった。
1893(明治26)年12月9日 初期の目的を果たし、収容者殆どに生業を得させることが出来たので新しい福祉問題に対応するため、神戸市中山手通7丁目番外 21番地に移転。
当時必要にせまられていた孤児の救済に当たることとし、名称を『神戸孤児院』と改め、神戸貧民救済義会 会長 吉川亀が初代院長に、矢野彀が実務者に就任した。
1896(明治29)年12月1日 矢野彀が初代理事長並びに2代目院長に就任した。
1899(明治32)年 児童数増加により院舎増築、院内に小学校を設ける。
1900(明治33)年7月 文部省令により院内小学校を廃し児童を通学させる。社団法人の許可を受ける。
1901(明治34)年10月16日 財団法人の許可を受ける。
1906(明治39)年 飢餓の東北より82名の子どもたちを受け入れ、児童総数が179名に増加したため、同中山手7丁目92番地-1に新築移転。
初代理事長矢野彀の肖像
初代理事長 矢野彀
神戸貧民救済議会の前で撮られた集合写真
神戸貧民救済議会
神戸孤児院の前で撮られた集合写真
神戸孤児院当時

昭和

1929(昭和4)年2月4日 矢野彀理事長(院長)永眠。同日2代目理事長(3代目院長)に夫人矢野はつ氏就任。
1932(昭和7)年1月1日 救護法による救護施設の認可を受ける。
1933(昭和8)年4月 児童の増加と院舎の老朽のため全院舎改築。
1934(昭和9)年2月1日 矢野はつ理事長(院長)永眠、同日3代目理事長(4代目院長)に水谷愛子就任。 3代目理事長水谷愛子の肖像
第3代理事長 水谷愛子
1939(昭和14)年5月 神戸孤児院50周年記念誌発行。
1940(昭和15)年8月 母子寮新設。
1941(昭和16)年4月20日 母子保護施設の認可を受ける。
1942(昭和17)年7月20日 『神戸真生塾』と改称。
1945(昭和20)年3月17日 育児部戦災により全焼。
1945(昭和20)年6月5日 母子寮戦災により全焼。 戦後の米軍戦艦内にて子供たちが食事している風景
戦後の米軍戦艦内にて食事風景
1947(昭和22)年7月20日 県有建物移築並びに本館鉄筋コンクリート造の大修繕合計227坪復興。
1948(昭和23)年2月28日 児童福祉法による児童福祉施設認可(養護施設)を受ける。
1948(昭和23)年11月 乳児院建物復興。
1949(昭和24)年12月1日 児童福祉法による乳児院として認可を受ける。
1952(昭和27)年5月17日 社会福祉法人に組織変更。
1979(昭和54)年5月23日 創立90周年記念式典が開催され、「神戸真生塾90年の歩み」が発刊される。 昭和50年代当時の施設外観
昭和50年代当時
1980(昭和55)年4月 在宅乳児短期及び一時保護事業を開始。(現在の神戸市子育て支援事業[H6.6より])
1984(昭和59)年9月30日 水谷愛子理事長(施設長)永眠。
昭和9年5月の真生塾周辺の風景を臨む写真
昭和9年5月の風景
昭和30年代当時の真生塾の子供たちの集合写真
昭和30年代当時
戦後まもない真生塾前路地にて撮られた集合写真
戦後まもない真生塾前路地にて

平成

1990(平成2)年10月~11月 創立100周年記念式典・シンポジウム開催。
1994(平成6)年4月 子育て支援事業を開始。
1995(平成7)年1月 阪神・淡路大震災により被災する。(半壊)
2003(平成15)年5月24日 建替新築工事竣工式典開催。
2005(平成17)年4月1日 児童福祉法による児童家庭支援センターの認可を受ける。(児童養護施設併設型)
2007(平成19)年4月1日 保育所 真生きらきら保育園開設。
2010(平成22)年4月~5月 創立120周年記念シンポジウム・創立記念日・音楽会開催。
2012(平成24)年3月 神戸市立自立援助ホーム子供の家の指定管理を神戸市より受託。
2013(平成25)年4月 附属小児科診療所「愛こどもクリニック」開院。
2013(平成25)年10月 病児・病後児保育事業「カンガルー」開設。
2018(平成30)年4月1日 真生きらきら保育園が保育所より幼保連携型認定子ども園へ変更。
創立120周年記念シンポジウムの会場風景
創立120周年記念シンポジウム
神戸真生塾周辺の平成22年5月の風景
平成22年5月の風景